狗巻くんとおにぎり語

「わたし狗巻くんのさ、声が好きなんだよね」
「???」

 怪訝そうに顔を歪ませて首を何度も傾げる狗巻くんは、交互に自分の額とわたしの額に手のひらを当てて熱を測り始めた。

「高菜?」

 まるで突拍子もないことを言い出したわたしが熱でもあるのかというように心配している様子の狗巻くんに、思わず笑ってしまった。

「ごめん、熱はないから大丈夫だよ」

 わたしの言葉の真意を測りかねていても、先ずはその言葉の意味を問い詰めるのではなく、わたしの体調の心配をしてくれるその優しさが擽ったい。

「いやね、狗巻くんっておにぎりの具しか喋らないじゃない」
「しゃけ」
「その理由も知った上で、狗巻くんの声が好きだなって思って」

 まるで相手に意図を伝える気のないそのセリフは、当然狗巻くんに伝わる筈もやく更に彼は漫画だったらきっと頭の上に疑問符を浮かべているようなキョトン、とした顔で小首を傾げて。
 わたしはそんな狗巻くんがおかしくてまた笑ってしまう。

「狗巻くんの声はね、単語であっても優しさに満ちていてあったかくてさ」
「おかか……」
「そんなことあるんだって。狗巻くんの声を聞く度に、あぁ好きだなって実感するんだ」

 わたしがそこまでいうと、狗巻くんはいつも口許を隠している制服の襟に手をかけ、更に顔まで隠すように引っ張り上げる。
 だけどもちろん顔全体を隠しきれるほど伸縮性のないそれは、どんどんと茹でたこのように赤くなるのを隠しきれる筈もなくて。

「おかか……」

 恥じらうように睫毛を伏せながら、俯き気味に首を横に振る狗巻くんは、わたしから貰った好意の言葉の数々に照れてしまっているらしい。

「わたしに好きっていわれるの、嫌だった?」
「おかかおかか!」

 わたしの問いかけに、慌てたように早口にそういうと、狗巻くんがブンブンとすごい勢いで首を横に振りながら否定の言葉を口にする。
 そんなに慌てられるといっそ肯定と疑ってしまうくらいの狗巻くんの慌てぶりだが、きっと彼の性格上その言葉の通りなのだろう。だからつまりこれは。

「照れちゃったの?」
「つなまよ……」

 図星を突かれたらしく、小さく唸りながら俯く狗巻くんは、その勢いのまま顔を隠すように更に襟を引き上げ、これ以上はむりだといわんばかりに両手で顔を覆い隠しながら背中を丸めてしまった。
 わたしよりも背の高い男の子だというのに、その姿はまるで小さな子供みたいで。

「ふふ」

 思わず微笑ましくて笑っちゃうと、狗巻くんは指の隙間から顔を覗かせ、拗ねたように唇を尖らせてしまった。
 だけどそれがまたかわいくて仕方がない。
 手触りのよい髪に手を伸ばしてよしよしと撫でると、狗巻くんは更に居心地悪そうに身じろいで、だけど嫌がっているわけではないらしくわたしの手から逃げ出そうとはしない。
 まるで猫を飼っているような気分だ。思わずわたしの頬は緩んでしまう。

「狗巻くん好きだよ」
「……っ」

 その言葉は相手からの返答を期待したわけではなく、わたしがただ狗巻くんに伝えたいが為のもので。
 だけどわたしのその言葉に狗巻くんは更に動揺したように目を泳がせて、それから制服で隠していた口許を無防備に晒した。
 形のよい唇が、薄く開いて。いつもは隠された口許に刻まれた蛇の目と牙を施した家紋が、空気に触れて無防備に晒される。
 それでも狗巻くんは言葉を発することなく、ただじっとわたしを見つめた。
 その視線を受け、わたしもただじっと狗巻くんを見つめ返す。彼が何かいいたいことがあるのだと察したからだ。

「しゃけ」

 狗巻くんはいつものポーカーフェイスが嘘のように顔を真っ赤にさせながらそういうと、わたしの制服の裾を遠慮がちに摘んできて。

 限られた言葉の制限のなかでの、精いっぱいの狗巻くんからの想いを受け取ったわたしは、狗巻くんの方へ両手を伸ばして彼の背中に腕を回して抱き寄せた。

「嬉しい」
「……ツナ」

 恥ずかしそうな声色で告げられ、顔は見えないけれどきっと今頃赤面しているのだろうなというのは余りに想像に容易くかった。
 恐る恐るといった様子で、狗巻くんからも背中に回された腕にぎゅうっと力が込められ、一瞬息苦しさを感じる。だけどそれもまた愛おしくて。かわいくて。
 彼の背中に腕を回しながら、わたしは彼の耳元に唇を寄せると、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「狗巻くんのぜんぶが大好き」
「〜〜〜っ、しゃけ!!」

 いつもは音量を抑えるように意識してボソボソと喋る狗巻くんにしては大きなヤケクソのような肯定に、思わず声をあげて笑ってしまったのは、仕方がないことだと思う。

 こんなに優しくてあったかくて、かわいい人をわたしは他に知らない。

 狗巻くんの背中に回した腕に先ほどよりももっと力を込めて、若しかしたら狗巻くんが苦しいくらいに抱き寄せて、狗巻くんのすこし速い心臓の鼓動を聞きながら、わたしは思った。

 優しいこの人がこれ以上傷つかない世界を、作りたい。
 わたしと狗巻くんと真希とパンダと乙骨くんと時々五条先生とで永遠にわちゃわちゃ面白おかしく学園生活を送れたらどれだけ幸せだろうって。
 あぁ、こんな日々がずっとずっと続けばいいのにって。

 だけど。
 この残酷な世界はそんなちっぽけで強欲な願いなんて許してはくれないから。
 だからせめてわたしは自分の手が届く範囲のたいせつだけでも取りこぼさないように、尽力しようと思っている。狗巻くんという優しい愛しい人の存在を、消させやしない為に。

「愛してる」

 そういって、狗巻くんの腕のなかで顔をあげて間近にある彼の顔に、更に顔を近づけて。薄く開いた彼の口から覗く赤い舌に絡ませるように、自分の舌をそっと這わせて口付ける。

 突然の片付けに、けれど狗巻くんの舌が、わたしの舌を拒絶することはない。どうしたらいいのか困惑した様子でまるで彼の家紋である蛇のように、ただ一方的に絡み付いてくる舌に、ただただ辿々しく応えてくれた。

「っ、ん……」

 くちゅ、と唾液の交わるいやらしい水音が部屋に響く。わたしの舌が狗巻くんの唾液に濡れた唇をべろりと舐め上げれば、狗巻くんからは鼻にかかったような、おにぎりの具とは違う吐息のようなものが漏れて。

「かわいい」

 そう呟いたわたしは彼の唇をちゅうっと吸い、小さく音を立ててから彼の唇を解放した。
 狗巻くんはもう隠しきれないくらいに顔を真っ赤に染め、困ったような泣き出してしまいそうな顔をしていた。それでも、わたしとの口付けを拒否することはなく受け入れてくれたことが、わたしは嬉しいと思った。

「狗巻くんのことが大切で大好きだっていうのは覚えておいて」

 濃厚な口付けに、男の子の生理的なそれが刺激されてしまったのか、居心地悪げに腰をよじっている狗巻くんに、今日だけは見逃してあげることにした。
 この可愛らしい子うさぎさんが、あんまり事を急いては、怯えて逃げ出してしまうかもしれないからだ。

「しゃけ……っ」
「もう一回キスしたいっていったら、怒る?」

 けれど代わりにすこし意地悪だけれど、ちょっと調子に乗ったわたしは、そういって狗巻くんの唇へ人差し指を置きながら聞いてみる。
 すると、狗巻くんはまた顔を赤くさせて困ったように眉を顰め、けれどやっぱり首を横に振ったりなんかはしなくて。
 だから、わたしはそれが答えなのだと勝手に解釈をして再び顔を近づける。
 案の定逃げなかった狗巻くんの唇とようやく触れ合って、そして啄むように上唇を舐め上げれば、狗巻くんが少しだけ身体をびくんと震わせて、唇から溜め息のような、熱い吐息を吐き出した。

「この先は、また今度」

 わたしが囁くようにそう声をかけると、狗巻くんはびくん、と肩を大きく揺らしたあとで、少し恨めしげにわたしを睨みながら「ツナマヨ……」と呟いたあと。
 狗巻くんの方から甘えるように唇を押し付けてきてくれたのだった。