フランムさんちのロロくんは

 フランムさんちのロロくんは、とても真面目で自分にも他人にも平等に厳しい男である。

 起床時間は365日いつだって定刻通りで寝坊などただ一度もしたこともなく、朝起きてからのルーティンも、ベッドメイクから洗面、朝食まで全て手順すらも寸分違わない。

 春夏秋冬。
 どんな天気の日でも、日の出よりも先に目覚めてきっちりと身嗜みを整えたのち、救いの鐘が鎮座する広く長い鐘楼の階段を最上階まで登り、鐘撞き係が来るよりも先に救いの鐘をピカピカになるまで磨き上げ、広い鐘楼内部の掃除を済ませる。
 そうして時折雨風に晒され汚れてしまった三体のガーゴイルもキレイにしてやるのだ。

 もちろん食事のメニューも365日きっかりと決まっており、例えば昼食であれば花の街でお気に入りの老舗のパン屋のクロワッサン2つと葡萄を16粒。それを1杯のカフェオレで頂くと決めている。

 定期的に両親へと送る便箋もいつも決まった店の、決まった柄。
 内容も定型文のようなそれ。

 型に嵌められたように、きっちりと体裁をなしたものを好み、一度手をつけたら途中で放り出すのをよしとしない。
 悪く言えば融通の利かない完璧主義者。――ロロくんは、そういう人間だ。

 不器用で、頑固で、実直で、潔癖症。言ってしまえば陰険なその性格は、気安さとは正反対に位置し、かの聖人君子の代名詞であるネージュ・リュバンシェのように万人に愛されるかと問われれば、まず有り得ないと断言して良いだろう。

 けれどもそうして他人を遠ざけて孤独になろうとするくせに、その性根はどこまでも誠実で真面目で公平であるから、廉潔・清純を信条とするこのノーブルベルカレッジでは品行方正な生徒会長として皆に慕われている。

 純粋な好意を突っぱねられない不器用なロロくん。わたしはそんなロロくんのことが昔から大好きなのである。

「ロロくん、ちょっと待って。歩幅差考えてよ、階段登るの早いって」
「……卿はいつまで私につきまとうつもりかね。わざわざ毎朝卿まで鐘楼の清掃に付き合う義理はない筈だがね」
「そんな冷たいこと言わないでよ。ノーブルベルカレッジ生のわたしにとっても救いの鐘の音は大好きだし、大切な魔法道具だもん。ロロくんと同じように大切に思ってるんだよ」
「ほう? 日頃騒がしい卿にもこの救いの鐘の音の素晴らしさが分かるとは、少しばかり意外だな」

 鐘楼最上階まであと少しといったところで、ロロくんはわたしの静止の声に反応し、段差に片足を掛けたまま振り返った。
 ぴくり、と柳眉を上げて驚いたようにわたしを見下ろすロロくんの相変わらずの毒舌に思わず無意識に口許が緩むのがとめられなかった。
 普段外面が良いロロくんは余り他人に直接的にこうした本音を曝け出すことがないから、昔馴染みという特権があるにしても、こうした憎まれ口を叩いてくれるのは紛れもなくわたしに心を開いているという証拠なのである。

「人の顔を見て笑うとは余りに失礼な反応だね」
「笑ってないよ」
「いや、笑った」
「笑ってないったら」
「笑ったな」
「別にロロくんのことを笑ったわけじゃないよ。あ。そう、思い出し笑い! ごめんって」
「……何なのだ全く……」

 フン、と鼻を鳴らしてロロくんは顔を背けて腹いせと言わんばかりに早足に階段を駆け上がってしまったが、入り組んだ鐘楼内部に詳しいのはなにもロロくんだけではない。
 毎朝ロロくんに付き合い、一緒に鐘楼の掃除をしているわたしも同じくらい内部事情に詳しく、置いて行かれたところで鐘楼内で迷子になるわけもなく。

――ロロくん、また目の下の隈が濃くなっていたな。

 きっとろくに眠れていないのだろう。
 それでもその隈は少し神経質なそうなロロくんの端正な顔立ちに翳りをみせることはなく、寧ろ一層繊細さを際立たせているようにみえた。

 置いてけぼりにされ、ひとり階段を登っている最中も、わたしは先ほどのロロくんの顔を思い出しては小さく溜め息をついていた。

 彼は過去に囚われ続けている。あの日から、彼の刻は止まったままなのだろう。

 どうしようもなかった。まだ魔法の才能に開花していなかった彼やわたしにはどうすることも出来なかった。仕方なかった、運が悪かった。
 そう言ってしまえばそれまでで。けれど、そう切り捨ててしまうには余りにその悲劇は身近過ぎた。
 情の深いロロくんの心の奥底に深い傷口として刻まれ、今も尚じゅくじゅくとした痛みと怒りを伴って、その傷跡は疼くのだろう。

 わたしでは、ロロくんを救い出すなんて大層なことは出来やしない。
 だからどれだけ拒否されようが、こうしておちゃらけながら、ひとり孤独に堕ちていこうとするロロくんの側から離れずに在ること。それがわたしに出来る唯一の方法であり、エゴなのだ。

「置いてかないでって言ってるのに卿は全く冷たい男だね!」
「それは私の真似でもしているつもりかね。ちっとも似ていないからやめたまえ」

 けらけらけら。軽薄な笑い声と共に、今頃鐘楼の最上階であろうロロくんの耳に届くようにすこし声を張り上げてふざけてみせれば、決して声が大きいわけでもないのに不思議と鐘楼内に響き渡るロロくんの凛とした、けれど少し不機嫌そうな声が返って来た。

 無視してもいいような軽口であっても決して流さないのだから、全くロロくんと言う人はどこまでも真面目で律儀な男である。

「ふざけていないで、早く上がってきたまえ。どうせもうすぐそこまで来ているのだろう」
「はいはい」
「はいは一度で充分だ。全く、卿は本当にノーブルベルカレッジの生徒かね。卿はもう少し”正しき判事”の公明正大な精神を見倣いたまえよ」
「充分見倣ってますけど??」

 ロロくんは決して冗談の全てが通じないような唐変木ではないが、真面目な彼からするとわたしはいつもふざけ倒しているお気楽にしかみえないらしかった。

 ロロくんの言葉に応じるように救いの鐘が置いてある部屋に続く扉の傍からひょい、と顔を出しながら言えば、やれやれ頭の痛い話だ。と言いながらロロくんはいつものハンカチを口許に宛てがってみせる。
 ロロくんの癖であるその仕草は最早わたしにとって見慣れたものであり、主にわたしに対しては嘆かわしい、といった意味合いで使われている。

「私は日頃他人の評価なんてものを気にしたことはないけどね。卿だけはその軽薄さがなければと常々思っていたよ。出来ることならこの機会に改めて欲しいところだ」
「残念。コレも含めてわたしだから、改める気は更々ございません」
「ふん。今更私の言葉で卿が変わるだなんて思ってもいないさ」

 やれやれと肩を竦めてみせるロロくんは、言葉とは裏腹すこしだけ優しい表情をしていた。

 本当に、真面目で堅苦しくて、不器用で神経質で、情の深いロロくんという男は。
 こうして憎まれ口を叩いては突き放そうと薄情な男のフリをする癖に、いざ本当に離れようとすれば不安そうな、まるで迷子の子どものような、そんな瞳でわたしを見るのだから。

「そうだよ。だからロロくんに来るなって言われたって、これからも毎朝一緒に鐘楼に登るから」
「………もうよい。さっさと手を動かしたまえ。鐘撞き係が来る前に終わらせなければならないのだから」
「はいはい、分かったよ」

 いつものやり取りを交わしながらも、ロロくんの長い指先が手際よく磨かれては鈍く光る金ピカの鐘に滑り落ちる。

 まるで宝物を扱うが如き繊細な手つきと、救いの鐘を見つめる柔らかな眼差し。そしてキレイになった救いの鐘を見て、口許を僅かに緩めてわらう。
 それを見られるのは、この時間を共にしているわたしだけの特権だ。

「早起きは三文の徳、てね」
「何か言ったかね」
「なぁんも?」

 切れ長な目とクールな顔立ちと目の隈とその落ち着いた口ぶりから、ロロくんは年齢以上に大人びている。

 昔からどちらかと言えば思慮深い少年であったようには思うが、あくまでもそれは少年にしては些か程度のものであったし、良家の嫡男であるならば当たり前程度だったように思う。

 けれど今では病的なまでのそのストイックさは、多感な年頃にしては可笑しい程に落ち着き払い過ぎていた。
 尤も彼の境遇が、過去が、無理矢理にそうさせてしまったのかもしれないけれど。

 だからわたしはこの時間だけに見られるロロくんの、年相応の表情がとても好きなのだ。
 本人はきっと、そんな顔をしていること気付いてもいないだろうけど。
 否、気付いていないからこそ。無自覚であるからこそ、ロロくんにとって救いの鐘を磨くこの時間がかけがえのないものであるという事実を裏付ける他でもない根拠となるだろう。

「もうすぐ日の出だね、ロロくん」

 鐘楼の窓から差し込む柔らかい一筋の光に照らされ、清らかな救いの鐘に相応しい清廉潔白な白魚の如き指先を持つ彼の立ち姿はまるで一枚の絵画のように厳かでさえあった。

「ああ、帰ろう」

 その言葉はどちらともなく零れ落ち、それが合図であったようにわたしはロロくんの手を掴んで自らの手のひらと重ね合わせた。
 あの頃のように繋いだ手は、いつしか広がった身長差と同じように、ロロくんの手は今やわたしの手をすっぽりと覆い隠してしまうほど大きくなってしまっていた。

 繋いだ手に視線を落としたあと、朝を告げる為の鐘撞き係を待つように鎮座する救いの鐘を一瞥して。

――ああ、どうか。救いの鐘が、かつてこの花の街を恐ろしい災厄から救ってくれたというのならば。
 どうかその鐘の音で、この人を絶望から掬い上げてくれますよう。わたしが大好きなグレイッシュブルーの瞳に、再び光が宿る日が来ますように。

 その為の礎となるならわたしは何度でも、ずっと側で見守り続けよう。

 鐘楼を降り寮への道を歩いていると、やがて聞こえてくる救いの鐘の音をロロくんと肩を並べて聞きながら。
 わたしは再び、そう心に誓ったのだった。