【ユリス】プロローグ派生

――それともなに、キスだけじゃ物足りない?

涼しげな顔をしてそう言い放ったあいつの言葉が頭から離れない。
人に勝手にあんな事しておいて、振り回しておいて、その癖自分はどうでもいいと言わんばかりの様子で人の事をあしらって。
いつだって、あいつはそうだ。自分勝手で、節操無しで。それなのに、俺の事なんてまるで興味がないような顔をする。…それが気に食わない。

そう、それだけだ。構われたいとか、そういう事じゃなくて。
ただ、ただそれが腹立たしいだけ。それだけ、なのに。

段々と小さくなっていくクロノの後ろ姿を眺めながら地団駄を踏んでいると、突然後ろから声を掛けられた。
振り向くと、ソコには厭らしい笑みを浮かべた見慣れた男の姿。――コイツは俺やクロノと同じように、死神の仕事を生業にしている、所謂先輩というやつ。
俺よりもほんの数百年だけ先にこの仕事を始めたってだけで、偉そうなところがほんとムカつく。チャラチャラとしてる癖に、仕事は一丁前で、俺の事を馬鹿にしてきて。ああ、もうっ!思い出しただけで今でも腸が煮えくり返りそうだ。

「…はっ、お前まーたクロノに逃げられてやんの」
「チッ、…何か用かよ」
「あー?用?…おっまえに用なんてあるかよォ。オレはただお前が大好きなクロノちゃんにあしらわれて落ち込んでたからからかいに来ただけだっつーの」
「…暇人かよ…」
「お生憎様。オレはお前と違って優秀なんでな。担当の仕事はとっくに片づけたのー。お前もいー加減真面目にしろよな。…んで、見てたぜ?」
「う、うるせえ!………何がだよっ」
「キ・ス。…おっまえ、あんな子供騙しので真っ赤になっちゃってま~、ほんとお子ちゃまっつーかなァ……童貞かよ」
「はっ、キ、キキキキ!?」
「……はー……こりゃ筋金入りだわ…」

両手を広げて、呆れ混じりに首を振る男のその言葉に、ようやくおさまってきた筈の熱がボッと再燃する。
自分でも分かるくらいに熱を持った頬。無意識に手の甲が唇を隠し、後退する俺の姿に男は更に呆れきったような表情を浮かべた後、深く溜息を吐いたのだった。

「……お前、そんなだからクロノの食指が動かねえんじゃねえの」

しみじみとそう呟くと、ふらりと立ち去る男の後ろ姿に中指を立てて、あっかんべーをしてやる。
………うるせえな!!ほっとけよ!!!!

「チッ、結局最後までイヤミなやつだった。なんだってーんだよ、結局……」

やっぱり俺の邪魔しに来ただけじゃねえか。…暇人め。
…キツイ仕事山積みになって疲れて果ててしまえっ。くそくそっ!

しっかし、暇だなー。担当してる中野区にでも遊びに行こうか。…いっそ、クロノが担当している新宿区に遊びに行くのもいいかもしれない。

そんな事を考えながらぼんやりと歩いていると、遠くで微かに声が聴こえて来て思わず耳を澄ます。と、…なんだ?啜り泣く音?水音……?
さっぱり見当がつかなくて、音のする方へと歩を進める。

「………っ!?!?!?」

――目に入ったのは、重なり合う二つの唇。絡み合う肢体。艶かしい、水音。
…どちらも見知った男の、それであった。

――う、うわあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!

声にならない悲鳴をあげ、俺はその場から逃亡した。きっと、今までで一番の全速力だったに違いない。
声をあげなくてよかった。どうやら、俺に気付いていないらしい。いや、気付いてたかもしれないけど。…どうやら、気にならない些細な事と判断されたらしかった。

少し離れたところで、膝に手をついてかがみ込む。…いっそその場に座り込んで頭を抱え込んでしまいたい。それくらいに、衝撃的だった。

なんだアレ。なんだアレ。
なんで、あんなとこに、あんなものを。なんで、あんな声出して!なんで、あんな顔を!!!!!ああああ!!!!

思い出すだけで、心臓が可笑しくなってしまいそうだった。

動悸が止まらない。走った所為だけじゃない、明らかに先ほどの衝撃を受けての、それ。頬を冷や汗が伝い、首筋にまで流れ落ちていく。

「……男、同士で……」

――知識では、知っていた。というか、あいつが節操無しだし。そういうのもあるんだろう、とは思っていたけど。でも。実際に見ると、全然違う。

そういうものなのだと、実感した。してしまった。

――あいつも、あいつも誰かとああいうことをしているんだろうか。…戯れに、口づけて。俺にしたのと、同じように。…冷めた目で、簡単に交わるのだろうか。

ズキン。ズキン。
なんだこれ、なんなんだよこれ。

「……ッ」

驚きに目を見開く俺と、長い睫毛を伏せながら舌を絡ませてくるあいつ。
鼻が触れ合うくらいの距離に、あいつの顔があって生暖かい吐息が顔に掛かって。認めたくないけど身長差の所為で、普段は気付けない顔のパーツひとつひとつが、視界に映った。

ああ、こいつこんなトコに黒子があるのか、とか。思ったより睫毛が長いこととか。やっぱムカつくくらいキレイな顔をしてる、だとか。

意識したくないところまで、意識せざるを得なくて。
そんなところにまで頭が回らないくらいに混乱している筈なのに、どうしてだか逆にそんな細かいところばかりが深く脳裏に焼き付いているんだ。

――お前とは無理

あいつの声で再生された言葉に、ハと小さく息を呑み込む。

ああ、本当に。どうしようもない。
まるで小さい針に心臓を突かれているみたいに、痛む胸を鷲掴むようにして握り締め、深く溜息を吐く。

あんなヤツにされた事なんて、早く忘れてしまえ。
どうせ、意味なんてない。人のことをからかっただけだ。底意地の悪い、意地悪な男。

いつだって俺の事を簡単にあしらって、終いには無視をするような性格の悪い男だ。……それなのに、どうして。

気持ちとは裏腹に、じっとりと熱を持つ身体。
まるで自分の身体が自分のものではないかのような錯覚すら覚え、思わずその場にしゃがみ込んだ。

「……な、んで…っ」

震える声。今までこんなことなかったのに。
どうして、今になって。もしかしたら自分は病気なのではないか。
そんな恐怖と不安に、ぶるりと身体を震わせた。

――あいつが、悪いんだ。きっと、あいつがあんな事するから。だからヘンになっちゃったんだ。
こんな、だって有り得ない。可笑しくなってないなら、なんであいつとのアレを思い出して、熱くなるんだよ。

「ああ、くそ…っ」

踞ってジッと押し黙っても、熱を持った身体が静まることはなくて。
俺は舌打ちをして、前屈みになりながら自室へと駆けていくのだった。

「……っ、ふう…っ」

半ばタックル気味に部屋のドアを開いて駆け込む。
そうして乱暴な手つきで扉を閉め、そのまま扉に凭れ掛かるようにして、ずるずると崩れ落ちるように膝をついた。

そんな些細な刺激すら、今の俺には辛いものでしかなくて。
どうすればいいのか、どうすればおさまるのかなんて、解ってるけど。

「…っ」

いつもなら少し放っておけば直ぐにおさまるのに。
一向におさまる気配を見せないそれに、腹を括って緩慢な動きで下腹部を寛がせていく。…下着をすこしずり下げるだけで、ぴょこんと飛び出した、それ。

「……ぅ、あ…っ」

熱を持ったソレに手を添え、ぎこちない動きで掌を上下に動かしていく。
その度に慣れない刺激に、ぴくんぴくんと震える腰。ゆったりとした動きですら、幼いそれは明確な刺激として受け止めるのだ。

「―――~~~っ!!!!」

少し手の動きを早くしただけで、解放の時は簡単に訪れた。
背中を弓ならせ、達したばかりの身体がびくびくと揺れる。荒い息を整えながら、手のひらを汚したそれを乱暴な手つきで適当に近場に落ちていた適当な紙切れで拭うと、そのままずるずると横に倒れ込む。

……ああ、もう。なんてーか、疲れた。すっげえ疲れた。

「……俺、なにやってんだろーな……」

残ったのは、部屋中に充満した青臭いにおい。それからまるで重石でも乗っているようにずっしりと重くなっていく心。
紙切れでは拭ききれなかった汚れを適当に服に擦り付けながら、ぼんやりと溜息まじりに呟いたのだった。

……って、あ。この書類クロノに渡すヤツっぽい、やっべ。