[軍服Special]由利大輔

―ここは地球上の「日本」によく似た、
 けれどどこか違う、もうひとつの世界―

【―貴方日記 夢世軍国国家 After―】

某国―聖歴9891年4月1日…
半年前の秋月中佐指揮する「蘭々革命」により
国家は、長きにわたった独裁体制を、ほとんど無血に終わらせた。

現在では、秋月中佐は総理大臣、神尾大尉は大尉を兼任しつつ副総理に…
久世貴裕少尉は政務官に就任。新しい政権が整いつつある。

―しかし…革新派である秋月首相の改革に不満を持つ保守派が、
近々クーデターを企てているという流れも水面下に認められていた。

そんな時、久世政務官が自らの護衛である由利伍長に襲われた。
その事件がきっかけで水面下でチャンスを窺っていたクーデターのメンバーは一掃され、実行犯である由利伍長は現在も失踪を続けている――。

………………
…………………………
……………………………………………

カチコチと無機質な音を立てて時刻を告げる時計をぼんやりと眺めながら、由利は小さく舌打ちを打った。

久世の殺害の実行に失敗してから、もう二週間は経っただろうか。
命を狙われた当人である筈の久世の屋敷に匿われ、こうしてなんの生産性もない毎日を送りながら、ただ久世の帰りを待つだけの日々。

久世はあの日の言葉通り、早々に辞表を提出し、以前から誘われていたという由利信哉の会社で働く事を決めた。
出世に目が眩んだ者ならば喉から手が出るほど欲しがるであろう政務官、というエリート職をあっさりと、投げ捨てたのである。由利をこの屋敷に留めておく。ただ、それだけのために。

申し訳程度に繋がれた由利の手首と寝室の柱とを繋ぐ鎖。
その可動範囲は、最低限排泄を済ませられる程度の距離でしかないものの、この屋敷だけが由利を守る砦である今、それはなんら意味のなさない拘束でしかない。
――由利は、この屋敷を出て行く気など、まるでないのだから。

「……チ…ッ、」

時計と、玄関へと続く扉とを交互に見ながら、逸る気持ちを必死に押さえつける。
短針が告げる時刻は、とっくに久世が帰宅をする筈の時間を過ぎていて。
いつもは、いつもなら異常なほどに時間に正確で、少しの時間すら惜しいと言わんばかりに由利に構う久世だというのに、どうして今日に限って。

モヤモヤが、次第に理由もわからぬ苛立ちに変わり。
どうでもいいと、帰って来ればまた自分は気絶するくらいに久世に啼かされるだけなのだと分かりながらも、どうしても腹が立って仕方がなかった。

――男など、アイツの事なんて、好きじゃなかったはずだった。
溢れんばかりの愛情を向けられ、気恥ずかしい程に大切にされ、それが嬉しいと、心地良いと思ってしまうようになってしまったあの日から、とっくに囚われていたのだろうか。

毎日のように布団に潜り込んで、足を絡ませ合って眠って…些細な理由を付け、キスを交わして。…体に、触れ合って。
全てはクーデターを成功させる為だけの、筈だったのに。
いつからそんな日が来なければいい、ずっとこうして…まやかしでも幸せな日々を…過ごせればいいと。そんな甘い考えが、何度頭を過っただろう。…自分の中に日々芽生えて行くそんな感情を、誤摩化しながら見えないふりをして。

殺すつもりだった、筈なのに。
どうしても定まらない銃口。傷付ける為に翳した銃は、他でもない自分自身の心を傷つけて。
――締め上げられる苦痛に意識は遠のきそうになるのに、聞こえて来る心臓の鼓動ばかりが大きく存在を主張して。
恨めしかった筈の存在が、確かに今も息づいているのだという事実に、どうしてだか泣きたくなるぐらいの安堵を覚えて…その時に気付いてしまった。悟って、しまったのだ。

たとえ自分がどうなろうと、これで良かったのだ、と。

――そうして偽る必要のなくなった心は、戸惑いながらもゆっくりと、惹かれていく。まるで、そうなることが必然であるように、真っ逆さまに落ちていく。

………………
…………………………
……………………………………………

時刻はとっくに深夜、と呼べる時間に変わっていて。
苛立ちは次第に、不安へと変わっていく。否、それは最初から苛立ちという殻で守っていた、不安だったのだろう。

今の自分は、なにもない。
久世に守られ、久世がいなくては何も出来ない、ちっぽけな存在で。
例えどれだけ愛していると囁かれたところで、体を重ね合わせたところで、自分の体は久世のそれと同じもので。
本来同性愛者ではない久世がもし本気で、女を愛するようになったらきっと…敵わない。自分とは違って、一途で真面目な久世の事だ。なあなあにしたまま、だなんて事はあり得ない。だから――捨てられるのは、きっと……自分の方だ。

――不安、なのだ。
外の世界に行く事が出来ない自分にとって、久世とこの屋敷だけが、由利のすべてで。けれど久世はこうして由利を置いて毎日、外の世界へと旅立って行く。
自分以外の人間と言葉を交わし、笑みを浮かべ、同じ時を共有する。

もしも…、今はこうして毎晩のように組み敷かれ欲望を吐き出されているソレが、一日でもなくなったら?異常なまで正確な毎日が、ある日突然崩れ落ちたら?

――それはきっと、由利の知らない久世を取り巻く外の世界での、異変。
自分がどう足掻いても干渉出来ない、それ。

どんなに些細な変化であろうと、過敏にならざるを得ない。
一生変わらない愛なんて、存在しないのだ。そんなものは遊び歩いていた自分が、一番よく知っている。男なんて、所詮欲望に弱い存在なのだ。どれだけ真面目ぶったって、一途だって。本物の…女には、欲望には敵わない。
それが分かっているからこそ、久世の心変わりが、今の由利にはなによりも怖かった。

久世を信じたいと願う気持ちはあるのに、自分の事を信じる事が出来なくて。

どれだけ虚勢を張っていたって、由利は自分が出来損ないである事を知っている。一人の人間のトクベツになれるような存在ではない事を、久世のようにはなれない事を……痛いくらい、知っているのだ。
だから――。

「……ふ…ッ、…ぅ…」

知らぬ間に零れていた嗚咽。目の前が滲み、視界がぼやける。
何時の間に口の端から入り込んだのか、口内に広がる塩辛さに、はじめて自分が泣いているのだと知った。

こんなに好きなのだと、愛しているのだと気付きたくなかった。
気付いてしまえば最後、離れ難くなってしまう。いつか、が来る事が怖くて怖くて、きっとみっともなく縋ってしまうから。

「……貴、裕ぉ…」

ただ一言、ただいまと笑ってくれたら、その声が聞けたら…それだけで安心出来るというのに。
空調管理が正確な筈のこの部屋が、どうしてだか寒くて寒くてたまらなくて。久世のいないこの部屋が酷くだだっ広いだけの寂しい部屋に思えてしまって、それがたまらなく怖くて。
この場にいないその人に、縋ってしまう。どうしたって、求めてしまう。

「……貴…裕ぉっ、」

呼んだって届く筈がないのに、何度も何度も名前を呼び続けた。
まるで飼い主を求め鳴き叫ぶ犬のように、慟哭したのである。

「―――大輔?」
「………、貴裕…?」

やがて―キィ、と控えめに開かれた扉の音に顔を上げれば、少し疲れた表情ながらに不思議そうに小首を傾げた、久世の…求めていた人の姿があった。
何処か夢見心地に、まるでウサギのように赤くなった瞳でぼんやりと久世を眺めていれば。

「…どうして泣いてるの、なにかあったの!?」

久世の方が焦ったように、いつもは丁重に脱ぎ整える筈の靴を乱暴に脱ぎ捨て、ドタバタと由利がぺたんと座り込んでいるリビングへと駆け寄ってきた。

「誰か来たの!?」

肩を強く掴まれ、なにも答えない由利に、久世の豊かな想像力は更に悪い方へと向かってしまったのだろう、青い顔をしながら由利を、ぎりり、と骨が軋む程の力で強く強く抱き寄せた。

「……いてぇ」

鼻腔に広がる久世の嗅ぎ慣れた匂い。痛いくらいの抱擁すら、久世の確かな熱を感じ、由利を安堵させるもので。
抗議を口にしながらも、甘えるように久世の肩へと鼻を擦り寄せ、ゆっくりと見た目よりも大きなその背中に、手を回せば。

「……大輔?」
「動くンじゃねーよ、バカ」

いつもとは違う由利の態度に、久世はその表情を窺おうと身じろぐ…が、離れる事は許さないとでも言うかのように、由利はぎゅうっと腕の力を強くして。
困惑の表情でそれを受ける久世の頭を半ば無理矢理掴むと、噛み付くように口付けた。

「!!!」

キスを受け、久世は驚いたように目を見開く。しかし、次の瞬間には酷く幸せそうに目尻を緩めてから、ゆったりと瞳を閉じたのだった。

「…大輔……、嬉しいよ…大輔からキス、してくれるなんて」
「ん…っ、ぅ……んっ、気が向いた、だけだっつーの…、…ぁッ」

久世の舌が由利の唇を割り、深くなるそれに応えるように舌を突き出せば、ぬちゅりと厭らしい水音を立てながら互いのそれを絡ませ合う。
それと同時に、久世の手が由利の浴衣の隙き間から、するりと侵入してきて。

「…っ、ぁ…んっ!」

慣れ親しんだその手の熱に、少し肌に触れられるだけで自然と熱が上がっていく体に羞恥を覚えながらも、もっとその熱が欲しくて自分から強請るように体を擦り寄せた。
そうすれば久世は、そんな由利の行動に驚いたように目を見開いたが、求められた事が嬉しくてたまらないのだろう、手の動きを大胆なそれへと変えていった。

「……大輔、愛してるよ……ッ」

久世はそう言いながらも何度も何度もキスを交わしながらも、由利の自身と自らの昂ったそれを重ね合わせ、手のひらで扱いていく。
みっともなく乱した浴衣の裾を持ち上げ涎を垂らしている由利とは対照的に、きっちりとしたスーツを着込んだままの久世のスーツのズボンを押し上げ存在を主張しているそれとが擦り合って、たまらない気持ち良さと厭らしさに、悪寒とは違った何かが由利の背中を走って。
…快楽に蕩けた久世の瞳の中に、自分への深い愛情を感じて。

その唇から紡がれる愛の言葉に、そういえば自分がその言葉を久世の発したことがないという事実に気が付く。気が付いて、しまった。

恥ずかしくて、言えなかったその言葉。…言ってみようか。勇気を出してみようか。
どんな、顔をするだろう。驚くだろうか。それとも…バカみたいに喜んでくれるんだろうか。
そんな、少しの恐怖と…それを上回るドキドキに…由利はゆっくりと唇を開いた。

「……俺、も」
「……………え?」

耳を澄まさねば聞こえないほどの、小さな小さなそれに、久世は聞き間違えかと思いながらも、つい期待に胸を高鳴らせながら尋ね返してしまう。

「だ…からっ、俺も、好きだ…っつってんだよ、バァカっ!!」

息を乱しながら、羞恥を怒りで誤摩化して。

「………うれ、しい」

驚いたように目を見開いて、それからひどく幸せそうにふにゃりと目尻を緩めて、泣き笑いのような表情を作る久世に、どうしてか由利までも泣きたくなってしまう。

「大げさなんだよ、ばか」

好きだと、その一言を告げるまでに随分と回り道をしてしまったような気がする。けれど、その回り道もきっと、自分達には必要なものだったに違いない。

苦しくて泣きたくなった夜も、役目を投げ出して楽になりたいと思ったあの日も、幸せだったまやかしの日々ですら、そのすべてが。

「大げさなんかじゃないよ。やっと、大輔から気持ちを聞けたんだから」

嬉しい、嬉しい、とまるで子供みたいに何度も何度も口にする久世に、思わずふにゃりと緩んでしまいそうな口元を必死に押さえながら、由利はまた小さく、バカと呟くのだった。

「ところで、何で大輔泣いてたの…?」「…言わねー。お前こそ、なんで今日はこんなに遅くなったんだよ…」「ああ…少し書類トラブルがあって…担当者が掴まらなくてね…」「……連絡ぐらい、しろよな」「あちこちに連絡してたら、電池なくなっちゃって……」「~~~!!バーカバーカ!バッカじゃねえの!!」「……わっ、そんなに怒らなくてもいいじゃないか…」

(貴裕がなかなか帰って来ないのが不安で泣いてたなんて、ンなの言えるはずねぇだろ……ばか)