由利久世ルート

――目が覚めると、相も変わらず暗闇の世界が久世の視界に映り込む。

自力で抜け出せないようにか、きつくきつく絞められた拘束具。
薄いパジャマでは守りきる事の出来なかった肌は、きっと真っ赤に擦れてしまっているのだろう。身じろぐ度に覚える鈍い痛みに顔を歪めるけれど、どうすることもできない現状に、ただ諦めにも似たため息を漏らすことしか出来なかった。
自分が失敗したのだと知ると同時に、由利に出遭ってしまった事を思い出す。

由利 大輔。久世の従兄弟にあたる存在だ。
いつもヘラヘラとした軽薄な態度や言動を取っている由利だが、それはまるで努力をしても認められない自分を守る仮面のような…久世は由利に対し、そんな印象を抱いている。―だからこそ、自分が甘やかしてやりたいと、そう思ってしまうのだ。なのに――。

「……ッ、」
「あっれ~、起きたんだ?」

なのに、この病院に来てから由利は少し、変わってしまった。
軽薄な言動も、人懐っこい動物のような態度も前と同じだというのに、久世の中の何かが、もう以前の由利とは違うのだ、と告げている。

「随分よく寝てたケド、疲れてたンじゃね?」

何が面白いのか、由利は愉快げにクツクツと喉を鳴らしながら、コツコツ、とヒールが地面を叩く音が、ゆっくりと自分の方へと近付いて来て。

「…そ、れは…お前が、」
「ン?ハハ、喉嗄れてンじゃん。かっわいそ~に」

軽薄な笑みをたたえながら、由利は棒読みにも近い言葉を零しながら久世にゆったりをした足取りで歩み寄って来た。

「……それ、は…お前が…ッ」
「――俺が、なンだよ」

由利の言葉に久世がぎりり、と歯軋りをしながら吠えるように返せば、由利はただただ愉快げに八重歯を剥きながらにたりと笑って、久世に続きを促して。

「……、…ッ」

挑発を受け、意を決したように顔を上げるが、すぐにまた躊躇したように俯いてしまう久世。

「……言ってみろよ、王子様~。ホラホラ♪」

ぺちぺちと久世の頬を軽く叩きながら、由利は興奮しているのか頬を紅潮させながら挑発を続けて。
久世はそんな由利の安い挑発に乗りかかっているのだろう、キっと目を三角にさせながら自分を見下ろす由利を睨み付けていた。

「……く、」

ぎりり。ぺちぺちとした乾いた音のみが部屋に響き渡り、久世は短い声を漏らした。

「まっ、言えねーよなあ。毎晩、俺にケツ掘られてあんあん喘いでるなんてよお…その所為で声まで枯らしちゃって、かっわいそ~に」

可哀想など、微塵も思っていないような声色で。
由利は久世を小馬鹿にしたように、笑う。

――そもそも、何故。何故、由利と久世がこういう関係になってしまったのか。

フォリア患者専用のこの病棟は、外部の者が一切近寄らないように、入り込めないように厳重な施錠がしてある。それは、言い換えればこの病棟はフォリア患者たちを閉じ込めるための監獄ということで。すべてはそう、世間体のために。
一生此処でフォリアの病に怯え、死んでいかないといけないのだ。そう考えただけで、気が狂いそうになる。否、いっそもう、狂ってしまえたらどれだけ良いか。

『ある日突然、お前の夢の中に出てきて愛を囁き始める人物―それが無限伴侶だ』

不意に、祖父の手紙に記されたフォリアの治療方法が頭を過る。
なんてバカらしい話だと、笑い飛ばせたらどれだけ良かっただろう。けれど、目の前で狂いはじめた父を見たあの日から、久世にとって『フォリア』は恐怖の対象でしかなかった。自分は、父のようになりたくない、とその想いだけが久世を突き動かし、生かして来た。
皮肉なことに、憎いはずのフォリアによって、久世は生かされ、そして殺されていくのだ、このままでは、今のままでは――。

いくらこの我が儘で可愛らしい従兄弟に、自分が甘いとはいえ流石にこんな仕打ちを受け、黙っていられるはずがない。恨んですら、いる。
その、筈だった。だというのに。

「……大、輔」

自分の意思とは関係なく、熱を持つ自身。クスリを盛られたのだ、と気付いてまたギリリ、と唇を噛みしめた。
うっすらと口内に拡がる血の味。どうやら唇を噛みきってしまったようだ。

由利は、ぼんやりと蕩けた表情を浮かべながら血の滲んだ唇に噛みつくように口づけた。…由利のものは、既に興奮からその存在を主張していて、血の味に酔いしれたような恍惚の表情を浮かべながら、久世にそれを擦り付けている。
その口づけと血の匂いに、嫌悪感を抱きつつも調教されきった体が、その先にある快楽を知っている。まるでパブロフの犬のように体が熱を自然と持ち始めて、久世また酔いしれるように由利に身を任せるようにして眸を閉じたのだった。

久世が祖父の手紙に書かれた『無限伴侶』を見つけたのは、この病棟に入ってからのことだ。

――最初は、気のせいだと思っていた。気のせいだと、思いたかった。
男の夢を見るなんて、正気ではないだろう。しかも、相手は自分が可愛がっている弟のような、そんな存在で。自分がその男を――由利を、組み敷いている夢だった。夢の中で、二人はまるで恋人同士のように寄り添っていたのだ。

だというのに、何故か。どうしてか久世は、その夢に嫌悪感を抱かなかった。――むしろ興奮すら、していたのだ。奇妙なことに。

けれど、現実は夢の中とは到底かけ離れた、それだった。

「俺とシてんのに、なァ~に考えてんの?」

日夜鬱憤を晴らすかのように由利に組み敷かれ、それでも諦めきれずにこの牢獄を抜け出そうともがけば、まるで無邪気に子供が蝶の羽根をもぐように、そんな抵抗は無駄だとでも言わんばかりにこうして由利に捕まり、痛めつけられる。

自分は患者として、由利は看護士として。
この病棟に囚われている。

何処か捨て鉢な節がある由利は、煩わしい事から解放され、ただ毎日こうして快楽を貪る毎日は楽で良い、と相変わらずの軽薄な笑みを浮かべ言いながらも、その眸はいつも何処か遠くを見つめていて。

――自分を檻に閉じ込めた父親を、恨んでいるだろうか。
――まるで生け贄のように自由の羽根をもがかれた事を。

「……大輔のことを考えていたんだよ」

見た目以上に柔らかい由利の髪を撫で、笑う。愛おしくてたまらない者を見つめるような、眸で。

「―――……ハッ、そんな見え透いたウソにひっかかるかよ」

久世の言葉を受け由利は、一瞬ぽかん、として。それから、いつものように、にたりと嗤う。
しっかりと覆われた膜が、由利の心に近付くことを許してくれない。

解りあいたい、解りあえるはずだ。由利と久世は、無限伴侶なのだから。愛し合わないと、いけないのだから。

「そんな風にご機嫌取りしても、お仕置きはなくなんねーからなァ!」
「………、…っあ…ッ」
「くっはは、ナンだカンだ言いながら、お前のココっていつも準備万端だよなァ~。俺のコト早く欲しい~ってパクパクしてるぜ」

ろくに慣らしもせず、無遠慮に突っ込まれた由利の指先に顔を歪ませるが、そんな久世の表情すら堪らないと言った様子で、嗜虐的な笑みをたたえながら由利は久世のイイトコロを擦って。

「……ッ、ぁ……あっ」

久世のいつもの落ち着いた声よりもワントーン高い嬌声を聞きながら、由利は丈の短いナース服を捲って忍ばせた片手では自分のモノを扱きあげる。

「は、ははッ、お前がケツに指突っ込まれて蕩けきったカオしてるなんて、あのクソ親父が知ったらどう思うんだろーなぁ!流石にゲンメツされンじゃね~?」
「は、ぁ…ッ、大輔、だって…僕の、痴態を見て…興奮、してる、だろ」

ぬちゅぬちゅと、厭らしい水音が部屋中に響き渡る。
それは、久世から発せられているものなのか、それとも由利が発しているのか。もしくは、そのどちらともなのか。

「はっ、うっせーよ」

それすら解らないぐらいに、粘膜を絡ませあって。
由利はそれ以上お喋りはさせない、といわんばかりに久世の唇を奪って、歯を立てた。

「お前だけ、逃がしやしねーかんな。簡単に、逃がしてなんかやるもんか。ずーっと、ずっと。お前は俺と一緒にこの箱庭で生きてくんだよ……そんな気なくなるまで何度だって、注ぎ込んでやらぁ…ぶっといお注射で、な」

獰猛な、しかしどこか仄暗い光を含んだ眸が、久世を刺す。
それは由利がはじめて口にした、明確な執着心だった。異常なほどの、独占欲だった。

「……だい、すけ…?」

いつもの軽薄な眸とはまるで違う、吸い込まれそうなほど何処までも深い深い、闇のような色を含んだそれ。
はじめて由利から向けられる強烈な感情に、久世が抱いたのは恐怖でもなければ、嫌悪でもない。……歓び、だった。

身体だけの関係だと、思っていた。大輔は僕を憎んでいるとさえ思っていた。憎しみだけの、行為だと思っていた。自分のプライドをずたずたに引き裂き、どうしようもなくなった時に、棄てられるのだと。だからこそ、この関係に嫌悪していたというのに。
だからこそ早くこの監獄みたいな病棟から抜け出し、ユーフォリアに入会することで、無限伴侶以外でフォリアの治療方法が見つからないかと思っていたのだ。
このままでは、やがて父のように、この病棟の患者と同じようになるだろうと思ったから。だから。

だけど――。

独占欲を剥き出しにした由利の視線を受け、久世は歓喜に震えた。
どんな汚れたものが含まれた感情であろうと、自分の方に大輔の気持ちが向いているのは違いないのだ。

それなら。

「……うかうかしてると、逆転してしまうかもね」

――自分の体は、心はとっくに、大輔がいないと狂ってしまいそうなほど、その存在に依存していたというのに。
それを口に出せないでいたのは、由利の真意が解らなかったから。すれ違いが、起きていたからだ。

そんな想いなど微塵も曝け出さずに、久世は挑発的な台詞とは対照的に穏やかに微笑みながら、由利に口付けをひとつ、落とすのだった。

end