主山

「ご、ご主人様!?なにを…っ」

山本は、追い詰められていた。原因はいま胡乱な目つきで山本を壁に押し付けている三宮万里に他ならない。

――うぅ、お酒くさいなあ。

あまりアルコールの匂いが得意ではない山本は、鼻が触れ合うほどの距離にいる万里に狼狽え頬を赤らめながらも、その匂いに顔を歪ませた。

実は山本も呼ばれていた、離れで開かれた盛大な忘年会。もちろん山本は、飲酒の出来ないお子様組としてのグループでちまちまとジュースを飲んでいただけで、沢山の重役執事たちに囲まれた万里とは一度も絡んでいない。
あんなに沢山の執事たちの前で、それも自分から万里に声をかける等、山本には出来なかったのだ。
最近昇格した山野井が人好きのする笑顔で万里にお酌するのをちらちらと眺めつつ、なんでもない顔で同じ位の執事たちと談笑するくらいしか。――フレンドリーで等身大の山野井に内心でその行動力を羨みながら。

と、其処で大好きな仲間を羨んでしまった自分にひどく自己嫌悪したところまで思い出してしまい、山本は小さく息を吐いた。

「………きゃんきゃんと喚くな…頭に響く」

山本の狼狽に鬱陶しげに眉を顰めた万里のあまりの物言いにムカッと来た山本が言い返そうと口を開けば、何を思ったか万里を自らの指を山本の口内に突き刺し、それもかなわない。

「ふぁ、ふぁひ…!」

――なにするの!と雇い主に対し、思わず敬語を忘れて睨みつけてしまうも、口内を侵略された今、それはきちんとした言葉として万里の耳に届くことはなかった。
それどころか、キッと睨みつけたのすら万里には上目遣いで強請られたようにしか見えないくらいだ。
山本の小動物らしい小さな抵抗に、万里はクツクツと喉を鳴らせながら口内を蹂躙するように指を動かした。

「ふ…ぅう…っ、ンぅー!」

山本からしたら、今万里から与えられている行動すべてが意味のわからないものでしかなくて。
やめて、と拒絶の意味を込め指に歯を立ててみても、万里からしてみたら、ちっぽけな反抗など無意味でしかないのだ。

「う、うぅ~…!!」

終わりはあっけなく訪れた。
山本の口内を弄くり回すのに飽きた万里が山本の口から手を引き抜いたのだ。
漸く解放された時には、既に山本は息絶え絶えといった様子で、万里を睨みつけている。…ただし、その瞳には涙の膜が張っていて、口の端は唾液で光っており、先ほどと同じく上目遣いな為、違うものを連想してしまう。

「なんだ、物足りないか」
「なっ!」

にやにやと厭らしい笑みを浮かべながら問いかけた万里の言葉を真に受けた山本は、怒りと羞恥で瞳を更に潤ませながら「誰が!」と雇い主である万里に噛みついた。

万里は山本のこういう気の強いところを好いていた。
若くして立場もある自分に、こうして物怖じせずに向かって来ようとする人間は限られているし、なによりこうした気の強い者を屈させるのはひどく面白い事だからだ。

雇い主である自身に、自らの立場を理解していながらも生意気な性格故に、つい立場云々などという大人の事情など忘れ、噛みついてしまうのだ。これは山本の短所であり、長所でもある。

この屋敷にいる人間は、皆一癖も二癖もある人間ばかりだ。それは重役だけでなく、山本をはじめとした位の低い執事たちにも同じことで。
万里は人の才能を見出すのがうまい。それは天性のものでもあるし、生きる上で必要だったから身に付けたものでもある。

山本はなにも自分の同期の執事のようにコンプレックスの塊、というわけではない。けれど、地位も名誉もある重役執事らに比べ、自分がなにか特別人より優れたものを持つとは到底思えなかった。
自分にはチェロがあるけれど、それだけだ。万里の財力と人脈があれば、自分以上の奏者などいくらだって集めることが出来るだろう。

――それなのに、どうして。

「………山本、なにをよそ見している」
「…僕…よそ見、なんて…」
「していただろう。視線じゃない、今なにを考えていた。」
「!」

万里を見ながらも別のことに思案を巡らせていたことに鋭い万里は勿論気付いていた。

「なにを迷うことがある?お前は俺のペットだ。――よもや忘れた訳ではないだろう?」
「あ、あぅ…」

妖しく笑う万里に、思い出してしまう。

キツネを模した耳と尻尾を付けさせられ、その生き物の真似を強要されたこと。自分の恰好をひどく気に入った万里が、キツネならキツネらしい行動をしろ、とその生態について身を以て叩き込んで来たこと。

――その所為で変な知識ばっかり増えちゃった。例えばキツネの、発情期は確か―12月から2月にかけてで、つまり…まさに今がその時期だ、とか。…僕は人間だから発情期なんてあってないようなものな筈なのに……。

万里により調教されきった自身の体は、そういう知識からか、極自然に熱を持ってしまう。山本が無意識に擦り合わせた腿を目敏く見た万里が、わらった。

「…ああ、そうか、そうだったな」

思い出したのは、きっと山本と同じことだろう。なんせそれを山本に教えたのは自分だ。身体で教え込んだその感覚も、自分の頭では、理性ではどうしようもなくなってしまう程に万里に囚われた山本のことは、今や本人以上に知っている。

「いいだろう、たっぷりと子種を仕込んでやるよ」

――優しいご主人様に感謝しろよ?優しい笑みとは裏腹の死刑宣告に、山本は赤らめていた顔を今度は蒼白に染めた。

「くく、物欲しげな顔をしやがって」
「―っ!そんな顔、してません…!」
「無意識か?…ご主人様を誑かそうなど、いけないキツネだな…」

酔っ払いほどたちの悪いものはない。宴の席で重役たちが、万里は酔うとキス魔になる、ということをばっちり聞いていた山本だったが、どうしてだか自分にはキスをしてくる気配がなくて。

「そんないけないキツネには、躾をしてやらないとな…」

それが不思議で、すこしだけ不満で。…気がつけば自分の視線は万里の唇の方に向いていたのかもしれない。

「…ンぅ…っ」

万里の囁きと共に、思いのほか優しいキスが降ってくる。いつもみたいな、すべてを奪うような口付けとは違った、ひたすらに甘く優しい口付け。
躾と称した甘い口付けに、山本は思わず蕩けるような眼差しでそれを受け入れ、縋り付くように万里のシャツに指を絡ませてしまう。

「……ふ、そんなに欲しかったのか?」

ちがう、と否定の言葉を口にしようとして…出来なかった。
宴の妙な雰囲気の中での、万里のキスの嵐。……その枠に入れなかっただけで、羨ましかったのは紛う事なく自分の本音だったから。

「……、ん…っ」

甘いキスから、それは段々と深いそれに変わっていき。
山本は崩れ落ちそうな四肢を叱咤しながら、生理的な涙を零した。

「……やりっぱなしってのも面白くない。お前からも返してみろよ」
「…え、ぁ………は、い」

蕩けるくらいの口付けに、整わない息のままにぼんやりと頷いて、山本は万里に誘われるがままに口付けを返した。

「…ン、っちゅ……ぅう…っ」
「…………」

夢中になって舌を擦って。目を細めてキスに応える万里に、胸が高鳴り、普段は口に出せない想いを口付けに乗せるようにして、何度も何度も口付けを交わし合えば。

「ハァ…は…っ」
「へたくそ」
「……なっ…!」

息も絶え絶えな山本とは対照的に、涼しげな顔のまま万里は山本にお返しとばかりに口付けを返した。
まるで、先ほど山本がした口付けなど、戯れでしかないとでもいうかのような、深い深い口付けを――。

「ふん」

長いキスを終え、満足げに鼻を鳴らした万里は自分の力だけでは立っていられないほどにぐったりとした山本の腕を掴んで、自分の方に引き寄せる、と。

「……ご、主人様……?」
「足りねえ」

突然のことに狼狽する山本を余所に、万里はまるで獰猛な肉食獣のように舌なめずりをして、そしてそのままベッドへと山本を導いた。

「え、え…?」

当然山本は急展開過ぎる現状に付いていくことが出来ずにいて。

「言っただろう、子種を仕込んでやると」
「……なっ、…あ、あんなの…冗談…、」
「俺は冗談は好かない」

山本の言葉を遮り、万里にしては早急な手つきで自分のシャツの前を寛がせると、そのまま山本を押し倒した。

「それに――ペットの世話は最後まで面倒見るもんだ」

そう言って笑って、山本の高ぶりに視線をやれば、その意味に気付いた山本はカァっと先ほどの比ではないほどの顔を赤らめ、そして。

「―――っ、俺…明日も、仕事あるんですからね…!」
「ふ、上等だ」

素直じゃない山本の、精一杯の言葉。些細な一人称の差は、暗に今はプライベートの時間だと、告げていて。
それらは正しく万里に届き、お返しに返って来るのは泣きだしてしまいたくなるほどの幸福感を孕んだ、快楽だ。

ふたりの長い夜は、まだまだはじまったばかり――。

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しじりでお世話になりました、マオさんに捧げます!
リクエストは『正月で呑みすぎて酔ってしまったご主人様に苛められちゃう山本くん』

ちゃんとリクエストに添えてるでしょうか…ドキドキ
長らくお待たせした挙げ句のクオリティが残念でごめんなさいー!!

またしじりに戻ってくること、期待してますからね!ずっと待ってますー!