たとえば、ロミオに立候補

(やっぱり……キレイだよなあ)

書類を眺める万里の横顔を盗み見るようにして見詰めながら、芹沢は感嘆の溜め息を漏らした。
男にしては長い睫毛が影をつくり、頬杖をつきながら思案に暮れるその姿は何処か物憂げな雰囲気を雰囲気を醸し出していて。すこしだけ退屈そうな表情が、なんだかエリサのそれに似ていて、芹沢はドキンと胸を高鳴らせた。
――もっとも、正確にはエリサの方が万里に似ているのだが。

「フ…」

芹沢がぼんやりと万里を眺めていると、突然万里が笑みを零す。…他人の気配に敏感な彼が、そもそも隠そうともしない熱視線に気付かない筈もないのだ。
そうして書類に向けていた視線を何処か蕩けた瞳で万里の方を見やる芹沢の方へと向けると、口元を吊り上げ小首を傾げながら尋ねるのだった。

「……お前、用事があるんじゃなかったのか?…それとも、俺の顔を眺めるのが用事だとでもいうつもりか」

揶揄するような万里の言葉に、芹沢の白い頬がサッと赤く染まる。からかわれたのだということに、気付いたのだろう。
けれど芹沢の最大の弱点であるエリサを妹に持つ万里に芹沢が立ち向かう事など出来るはずもなく。
芹沢は万里のその言葉に、恥ずかしそうに目を伏せることしか出来なかった。

「やっ…あ、のその、今度うちの学校の文化祭で……演劇をやることになったというのは、ご存知でしょうか」
「ああ、エリサから聞いている」
「あっ、そ…そう、ですよね」

兄の事をあれだけ慕っているエリサのことだ。絶好の機会を、逃さないはずがない。
そんなことにも気が付けないほどに浮かれていた自分を恥じながら、芹沢は居心地が悪そうに俯いてしまう。完全に、タイミングを見失ってしまったのである。

「……で?」
「?」

そんな芹沢を助けたのは、意外にも万里だった。

「それだけじゃねえだろ。折角だから、お前の話も聞いてやる」
「……あ、りがとう…ございます。あの、その演劇……忙しいとは思うんですが…是非ご主人様にも見てもらいたくて……」
「……ほう、…それはエリサのためか?…それとも、お前の願いか?」

からかうようなその言葉に、思わずドキリとする。

「も、ちろんエリサちゃんのため、ですよ」

そう言ってみるものの、果たして本当にそれがエリサの為だけなのか、自分の願いもまじっているのか。芹沢には分からなかった。

「……演目はもう決まってるのか?」
「あ、はい」
「ほう…エリサはもちろん主役だろうな」
「……、ふふ」
「何が可笑しい」
「あ、いえ……ごめんなさい!」

当然のような表情で尋ねてくる万里の姿に、思わず笑みが毀れてしまったのも仕方ないだろう。
けれどそんな芹沢の態度に馬鹿にされたと思ったのか、万里は目を細めてこちらを睨み付けて来る。

決して、馬鹿にした訳ではない。むしろ、微笑ましいと思ってしまったのだ。
普段はエリサを突き放そうとしている万里だが、こうしてエリサのいない場面では寧ろエリサのことを気にしている。芹沢だって何度牽制されたことか。
“普通”の兄妹にしてはおかしな関係のそれだが、やはりエリサの事を思うその気持ちは本物なのだ、ということが良く分かって。

「……フン、で…どうなんだ」
「エリサちゃんからは何も聞いてないんですか?」
「ああ……秘密、だと言っていた」

エリサは当日分かった方が面白いからという理由で、日時と演劇をやることになった、という最低限の情報以外はすべて隠しているらしかった。

「それなら……俺の口からは言えないです」
「……、そうか」

怒られるかと思ったその言葉だが、意外なことに万里はゆるりと頷いただけだった。
恐らく最初から芹沢からは情報は得られないということを分かっていたのだろう。
けれど万里が問いつめれば芹沢は、その口を割らずにはいられないという事も、知っていただろう。
そうならずに済んだ事に芹沢は、ほぅ…と安堵の溜め息を零して、そのまま逃げるように万里の私室を退出したのだった。

「楽しみにしている」

ぽそりと。去り際に聞こえた気がした言葉にふにゃりと表情を緩めながら、芹沢は駆け足になりそうになるのを堪えながら、ゆったりと歩いていく。慣れた足取りは、迷わずにとある部屋へと向かっていた。

「なにしに来たの」

開口一番に、浴びせられたのは辛辣な言葉。

「……あ、挨拶に」
「要らないわ」
「………プリントが」
「…必要ない」

素気なく断られるが、芹沢はめげなかった。…尤も、これが彼らの日常会話であるのだから耐性もつくというものだが。

「……さっき、お兄さんに―ご主人様に会って来たんだ」
「…お兄ちゃんに会ったの!?私の断りもなしに、なんで勝手におにいちゃんに会ってるのよ」
「し、仕事を頼まれたついでだよ!…それで…文化祭のことを…」
「……!!!!そんなこと、あんたはしなくていいのよ!!」

怒声と共に蹴りを入れられ、芹沢は思わず寸前でエリサの足を掴んでしまう。脊髄反射的に、動いてしまったのだ。
エリサの躊躇ない蹴りは悶絶ものだが、普段の芹沢はそれが嫌悪での行動でないということを知っているから受け入れている。

「!!!」
「あ、ご…ごめん」

だというのに、囚われた足にエリサは思わず目を剥いた。
自分の攻撃が止められたから、ではない。もちろんエリサは自身は子供で、しかも女である事を十二分に理解しているし、芹沢が子供でも男だということを知っている。…力では端から勝てないことは、十分承知しているのだ。
けれど、エリサは芹沢は決して自分に逆らうような真似をしないと思っているから。そう、慢心していたのだ。
だから、悔しかった。例え芹沢が目に見えて自分の行動を後悔していようと、芹沢如きが自分に歯向かったと、その事実が気に食わなくて。

「……芹沢のくせに」
「え?」
「生意気なのよ!!」

囚われている足はそのままに、エリサは拳を握ると、それを芹沢の頬へと叩き付けたのだった。

「……で」
「………は、はい」
「結局どうした訳」

少しして。芹沢は赤く腫れた頬に手を添えながら、恭しくエリサに頭を垂れた。…これも、二人の間では日常的な光景である。

「……言わなかったよ、なにも」
「………当然でしょ」

足を組みながらフン、と鼻を鳴らすエリサだが、その表情が先ほどに比べて柔らかいものに変わったことに芹沢は気付いていた。
恐らく余計な情報を告げなかった事に、安心したのだろう。

「あ…明日が最後の練習だって、それで……」
「……わかったわ」

申し訳なさそうに鞄からひとつのプリントを取り出してみせた芹沢に、それを受け取りながらエリサは溜め息ひとつ零すのだった。
同じように、むしろ自分の方が酷い目に遭うというのにエリサの姿を楽しみにしているのだからどうしようもない男だとおもう。
それでも、そんな芹沢の存在を嫌だとは思えなくなっている自分に、エリサは諦めに似た笑みを零すのだった。

翌日、教室にて。

「……」
「……エリサちゃん、格好いい……」

エリサと芹沢はクラスメイトの輪の中心にいた。
衣装役の子が用意した衣装合わせがてらに、最後の練習は本番の衣装を使って行うことになったのだ。
何処か恍惚の表情をエリサに向けて来る芹沢が身に付けているのは王子の衣装――ではなく、ヒロインであるお姫様のものだ。
そしてエリサが身に付けているものは――本来なら男子が身につけるべきである、王子様の衣装だ。

そう、今回エリサと芹沢が主役を演じるこの物語。それは、クラスのお調子ものが面白がって提案したものにクラスメイトがノってしまった――男女逆転の物語なのである。

「……あんたも、……立派なヘンタイっぽくて良いんじゃない」

芹沢が身じろぐ度にふわりと揺れるスカート。成長途中の芹沢の体は中性的なそれであるが、さすがに運動部で鍛えた体は緩やかなラインのドレスを身に纏っていても、流石に女と言い切るのは無理があった。
もちろん芹沢も自分の女装姿に羞恥心を抱いてはいるらしく、恥ずかしそうにはしているが、それよりもエリサの男装姿に目を奪われているのだろう。

長い髪を横でゆるく括りながら、時折自らの動きを妨げるマントを鬱陶しげに捌く。
そんな些細な動作ですら華麗なのだから、思わずクラスメイトたちもほう、と感嘆の溜め息を漏らしながらエリサの一挙一動を見つめてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。

エリサの衣装は、オーソドックスな王子のそれだ。
ところどころにレースのあしらわれた、華美だけれど決してゴテゴテとし過ぎていないそれは、確実に着る者を選ぶデザインだ。けれどエリサはなんなくそれを着こなしてみせた。腰に差したレイピアも、本物と見紛うそれで。

「…あ、…お、俺は……似合ってない、んだけど…エリサちゃんは、すごく格好いいと思う。凛々しくて……本当の王子様みたいだ」
「……ふん、当然でしょ」

ふわり、と花開くような笑みを向けられ、エリサは照れ隠しのようにそっぽを向いた。
芹沢はそんなエリサの事が可愛らしくて、愛おしくて仕方がなかった。

愛らしい見た目に、いつまでも聞いていたくなる天使のような声、大人っぽい態度とは裏腹に、時折見せる子供の一面。
そのどれもが魅力的で心奪われずにいられないそれだというのに、当の本人はそんな男達を歯牙にもかけずに、一途に自分の実兄だけを想っている。

無謀な恋だとわかっている。けれど、エリサの気持ちがどれだけ歪んだそれだとしても、自分にも向いていることが分かるから。分かっているからこそ、芹沢は諦めることが出来なかった。

あの屋敷に通うようになってから謀られるようにはじまった倒錯的な、関係。
オカシイコトをしているという自覚はあるのに、まるで女郎蜘蛛の罠に掛かったように、抜け出せないソレ。
酷い扱いを受けているのに、エリサのことを守りたいと、傍にありたいという想いは芹沢の中から消えることはない。…寧ろ、屋敷に通う前より、一層そうした使命感は強く芹沢の胸の中に灯している。

「………ご、……お兄さん、来てくれるといいね」
「来るわよ」

皆がいる手前ご主人様とは呼べず、慌てて言い直す。そんな芹沢に唯一気付いたのだろう、エリサは牽制するように鋭く睨み付けて来た。

エリサにとって、万里との秘密の関係はなんとしても守らなければならないものだった。
万が一クラスメイトに漏れた場合、好奇心の強い年頃だ、きっと近付いて来る者も少なくないだろう。面白半分で、近付いて来て欲しくはない。

「絶対、来るわ」

不敵な笑みを浮かべ、妙な自信を持つエリサ。
けれど、こういう場面で兄がエリサを裏切ったことなどただ一度だってないという事を、エリサはよく知っている。
それが確固とした信頼の裏付けとなっているのだ。

例えば授業参観の日、他の保護者たちに交じってひとり、学生服を着た万里がエリサの様子を見に来た時のこと。それから、毎年の誕生日にクリスマス。
万里はどれだけ忙しくても、いつだってエリサのことを優先してくれていた。

「……そうだね」

芹沢の目には、エリサのその姿が自信満々に自分に問いかけて来た万里の姿と被って見えた。
そして同時に、兄妹の強い絆を見せつけられたようで、その中に自分の入り込む隙などない事を見せつけられたような気がして、思わずどろりとした黒いモヤモヤが溢れ出す胸を押さえるように、拳を握りしめるのだった。

――果たして、自分が何を擲っても守りたいと想っているエリサのすべてである万里に嫉妬しているのか、それとも……自分勝手に人を振り回す万里の唯一であるエリサに嫉妬しているのか、芹沢にはわからなかった。

ただひとつ確実なのは、そのどちらともが今の芹沢にとって掛けがえのない存在であるということだけで。

認めてしまえばストンと落ちて来る感情に、それでも嫌悪の類は沸いて来ないというのだから、きっともうとっくの昔に囚われていたに違いないのだ。

あの美しく気高く――そして何処までも不器用で脆い、兄妹に。

ご主人様LOVE企画に参加させて頂きました。主芹ってよりエリ芹エリ+ご主人様風味。
いろいろな恋のかたち第四弾『エロス』
お題は【確かに恋だった】さまよりお借りしました。