ライナスの毛布

万里に執務室の掃除を頼まれた松木は、仕事をする万里の邪魔にならないように細心の注意を払いながら、丁重に積まれた書類を仕分けていく。
日付や簡単に分けられたそれを細かく整理していくだけの単純な作業とはいえ、その内容は三宮にとっては外部に知られてはマズイものも混在しているわけで。そうした書類を任せてもらえるということは、つまるところ万里にそれだけ信頼されているということだ。そのことが純粋に嬉しかった。

若くして三宮グループを背負わされた万里は多くの人間を支える立場にいて。万里の行動ひとつで、松木が思うよりもずっとずっと大きな影響を世界に与えることになる。財界に大きく影響力を持つ三宮グループを背負うというのは、そういうことだ。
けれど、万里はそうしたプレッシャーなど微塵も感じていないといった様子で毅然としている。すこしでも弱みを見せてくれれば、重すぎる荷物を分け与えてくれれば、喜んで支えるというのに。万里は自分の弱いところを決して人に見せやしないのだ。他人のそれは簡単に見つけて、むちゃくちゃなやり方で背負ってしまうというのに。
そんな万里に散々痛い目に遭わされたのだろう、好き放題振り回しやがって、と苦虫を噛み潰したような表情でぼやいたのは、松木の学友の言葉だ。けれど、松木は知っている。そんな彼の言葉に籠っていたのが、決して悪い感情だけではないと。

――どこまでも不器用なひと。

きちんと自立した大人だというのに、松木はたまにひどく万里のことを幼い子供のように思ってしまう。つい、甘やかしてしまいたくなる時がある。まるで弟や妹にするようなそれと同じように、頭を撫でて抱き寄せたくなる。
それは不意に万里があまりにも甘えることを知らず、大人になる事を強要され背伸びをし続けて来たのだということが垣間見てしまうからかもしれない。

最初はそんな万里のことが純粋に医師という職業柄、心配だったのもある。自分のことをあまりに大切にしない万里のことを面倒見のよい松木が見てみぬふりが出来るはずないと。ただ、それだけだと思っていた。
けれど万里に強請られはじめた執事という立ち位置も、結局は名ばかりのそれであり、平素から松木が万里にたいして焼いている世話の延長線でしかなかった。なんせ三宮が松木に頼む仕事といえば従来通りの健診―いわゆる往診―と今みたいな簡単な雑用くらいしかない。そのくせ、万里が寄越す給与は一般的なそれと比べて、あまりに多く。
それでも松木が屋敷に顔を出せば万里が嬉しそうな顔をするから、ついそれに甘えてしまっているのかもしれない。病院勤めだけでは出会いもしなかっただろう多種多様な人々、刺激的な屋敷の生活は、松木にとって楽しみのひとつとなってしまっているから。

思案に暮れながらも決して手は休めず、松木は用済みとなった書類をシュレッターにかける。そうしているとやがて部屋に響いているのが自分が発している音のみだということに気が付いてしまう。
先ほどまで聞こえていた紙が擦れ合う音だとか、ペンを走らせる音だとか、キーボードを叩く音だとか、そういう類のものが今は一切なくなったのだ。

(あれ…珍しいな…)

不思議に思って万里の方を見やれば、そこには机に突っ伏して眠る万里の姿があって、あまり見られないその姿に松木が目を剥く。
けれど、今朝からあまり顔色の良くない万里を心配していた松木にしてみれば、こうして僅かな時間ではあっても仮眠を取ってもらえるのは寧ろ喜ぶべきことだ。
忙しい身と分かっているからこそ無理は言わないが、本音を言えば一日くらいしっかりと仕事のことを忘れて、身体を休めて欲しい。この屋敷には仕事中毒なのではないかと疑わしい人物は多い。が、その中でも万里は一番のそれで。

「いつもお疲れ様です、三宮さん」

静かに上下して揺れる肩。こうして近くにいても安らかに眠りについてくれる程度には、きっと彼に信頼されているのだろう。その事実に松木はふと人好きのする柔らかな笑みを浮かべた。
そうして簡易ベッドからブランケットを引っ張りだすと、それを持って万里のもとへと戻り、小さくなっているその背中に優しく掛けてやる。

どうか今だけは何のしがらみにも囚われず優しい夢を、と願いながら。
万里が目覚めてしまわないように気遣いながら、松木はもう一度万里の眠る机の方に視線をやると微笑みをひとつ残し、静かにドアを閉じた。

「……お疲れ様、ね」

松木の気配が部屋から遠退いていくのを感じ、万里はゆったりと上体を起こす。
そうして肩にかけられたブランケットを掻き抱くと、何故か松木の残り香が万里の鼻腔を掠めたような気がして、ふと口許を緩む。

松木といると、万里はどうも小学生の頃の、母親がいたあの頃のイメージとダブってしまう。甘えている、のかもしれない。
ちっとも年上に見えないというのにその心は何処までも広く、やわらかく万里を包み込んでくれるその存在に。まるで母親に抱くそれに似た感情すら、湧いてしまうほどに暖かいその存在に。

そこまで考えると、万里はらしくない自分自身を馬鹿馬鹿しいとわらった。こんな感傷めいた感情を抱くなど、どうかしている、と。
そうしてそんな考えを振り払うかのように、万里は再びキーボードに指を滑らせ、三宮に害をもたらそうと企む者からしたら垂涎ものであろうそれに目を通すのだった。

ご主人様LOVE企画に参加させて頂きました。恋愛未満な主+松。
いろいろな恋のかたち第二弾『ストルゲ』